HOME

近江の歴史探訪

イエロ-スト-ン・グランドティトン


グランドサークル


ヨセミテ国立公園

ヨセミテ・パノラマ街道395号

説明板より
上平寺には、北近江の戦国大名・京極高清が築いた居館(日常の住まい)や家臣居館、城下町の遺跡が残っています。またここから約一時間登った所には、戦いに備えた山城・上平寺城(桐ヶ城)跡や弥高寺跡があります。京極氏は、鎌倉時代中ごろに愛知川から北の六群(伊香・浅井・坂田・犬上・愛知・高島)を与えられた初代氏信が「京極氏」を名乗ったことに始まります。室町時代に入ると京極導誉が幕府中央で活躍し、本家の佐々木六角氏をしのぐ勢力を持ちます。応仁の乱(1467)以降、本拠地・北近江の戦国大名として歩みはじめ、これにあわせて整備されたのが上平寺館を中心とする遺跡群です。大永三年(1523)、京極高清を輔佐する重臣上坂氏に対する不満から浅見氏や浅井氏らの家臣がクーデターを起こし、上平寺館は焼失します。その後、北近江では、小谷城の浅井氏が台頭し戦国大名化を果たしましたが、京極氏も高清の孫高次・高知兄弟によって再興され、丸亀藩(香川県)など四つの大名家として明治維新を迎えます。上平寺は伊吹山頂を北にして、城と館があり、その南に城下町、西に家臣屋敷、東は藤古川をはさんで長福寺跡、いちばん南に越前街道(北国脇往還)があります。上平寺館には「伊吹大権現」と「(上平寺)本堂」、高僧の墓所があり、その下に京極氏の「御屋形」と庭園、「隠岐屋敷」「弾正屋敷」「蔵屋敷」「厩」などがあったようです。城下町は「諸士屋敷(武家屋敷)」「町屋敷(商工業者)」「市店民屋(民家)」に分かれていました。上平寺は、北近江で最初に築かれた「都市」ということができます。
《米原市教育委員会・上平寺まちづくり推進委員会》

上平寺杉本坊
寺院・上平寺は、大谷寺とも呼ばれ、奈良時代に加賀白山の泰澄大師が開山したと伝えられています。
伊吹山は古くから山岳信仰が盛んで、上平寺も伊吹山寺と呼ばれる山岳寺院の一つです。
戦国時代には京極氏の保護のもとで発展し、上平寺城主・京極高清の死後は菩提寺として整備されました。その後、次第に衰退して、今では杉本坊だけが法灯を守っています。
大日如来・阿弥陀如来などの仏像や京極高清の位牌が大切にまつられています。(案内板より)

庭園跡(国指定史跡)

案内板より
京極氏館跡の庭園は、京極高清が居館を整備したときに作りました。
手前と奥に2つの池跡があり、池の中には、平らな石を据えた中の島があります。
庭園の中央には「虎石」と呼ばれる巨石が立っていて、山側の斜面にも多くの石が配置されています。
鶴・亀や滝などを、表現した石組だったと考えられます。
京極氏の時代には、庭園に隣接した建物があり、川戸谷の四季を借景にして庭園を鑑賞しながら、客人をもてなすためのさまざまな儀礼や宴がおこなわれていたことが、周辺から出土する「かわらけ」などから想像できます。戦国時代の武家庭園として全国的に貴重な遺跡です。

上平寺館跡(京極氏館跡)

案内板より
京極高清が、北近江を支配するために整備した居館です。
伊吹神社境内一帯が館跡です。館の前面には「内堀」と呼ばれる溝があり、ここを入ると右手に「薬師堂」があります。
薬師堂の上段は「弾正屋敷」、その向かいに「隠岐屋敷」があり、いずれも京極氏一族の屋敷跡です。
さらに「蔵屋敷」など広大な屋敷跡が並び、突き当たり右側が京極氏の「御屋形」で、奥行き約54m、幅約35mあり、奥に庭園跡があります。
さらに、石段を上がると、伊吹神社と京極氏一族の墓所があります。
戦国時代の守護館の様子を知ることができる貴重な遺跡です。

京極氏屋形跡(54m×35m) 弾正屋敷跡
隠岐屋敷跡 蔵屋敷跡
伊吹神社 伊吹神社にある京極氏一族の墓
《案内板より》
京極氏一族の墓と伝えられる五輪塔です。
「上平寺城絵図」にも「御廟所」の記載があり、もともとここに京極高清の墓石がありました。
江戸時代に丸亀藩主・京極高豊が、京極氏の菩提寺徳源院に歴代藩主の墓を整備したときに、高清の墓石は移されました。
墓石の一つには「浄光院殿芳室宗口大禅尼 永正三年(1506)四月七日」の文字があります。
京極氏ゆかりの女人の墓と伝えられています。

上平寺城跡

《虎口の案内板より》
京極高清が山麓に京極氏館や城下町を整備した際、戦いに備えた「詰の城」として築きました。
その後、元亀元年(1570)には、浅井長政が織田信長の近江侵略を阻止するために、朝倉氏の援助をうけて改修しています。
ここは城跡の見どころのひとつで上平寺城中心部への虎口(入口)です。細い土橋で堀切を渡ると、正面と側面を厚くて高い土塁で囲まれた枡形に入り込み、城内からの攻撃にさらされることになります。

伊吹神社より桐ケ城跡(上平寺城跡)まで約50分です。 虎口(入口)・堀切
城跡への道 本丸跡
京極氏が築いた山城で、東西50m×南北300mの規模をもつ。
本丸の南に二の丸・三の丸があり、土塁や堀切が残る

本丸跡にはワラビがいっぱい生えていました。快晴にもかかわらずヤマヒルがいつの間にか靴の中に侵入し大騒ぎをしました。

出会った花

ササユリ アザミ ?
フタリシズカ マムシグサ コアジサイ

ページTopへ

HOME